Wednesday, September 16, 2015

#2

 ひとがもし私を見て恐れたとしても、それは私がひとと「違っているから」とは限らない。たしかに人は異質なものを見て恐れる。例えば、片腕を欠損した人間はどうだろう。あなたは少し恐れるかもしれない。目が三つある人間はどうか。そんな怪物に出くわしたら、あなたは腰を抜かすだろう。

 しかし、そういった類ではない。私は、あなたとは違わない。むしろ、違わないというそのことが、あなたを恐怖に陥れるのだ。なぜなら、あなたは、私は何者か、を問う次には、「あなた自身とは何か」を問わなければならないからだ。

 回りくどい言い方はやめよう。私は、どのような怪物とも違う、ただの人間である。しかし、あまりにも人間らしい人間なので、個性など何もないというわけだ。私は、この現代にあって、ひとつの奇形なのである。

 それなら、とあなたは問うはずだ。なぜ人間の典型であるところの私が、そこまで奇異な印象を与えるのか?それも、はっきりと奇異とは言えない、不気味な人間、とにかく不快で、記憶の隅に追いやりたいような人間なのか?

 実のところ、私の人生は惨めなものだった。私は長年孤独に生活してきた。どうやらどんな人間も、私を御しがたいと感じるらしい。私はどんな風習も、文化も、退けてきた。そうしたものは私には理解ができなかったからだ。多くの人々が居心地よく浸かるような、そういう場が私にはなかった。自然と、私は孤独へと追いやられた。

 しかし、私はただの人間である。人間とは、愛情を要求するものだ。このことは、私は人間の定義としてもよいと思う。だれかに愛されたいとか、認められたいとか思うこと。偉大な科学者だろうと、戦士だろうと、この願いのために動いてきたのだ。私のような人間にもそういう本能がある。ところが、私はもはや、孤独であることに慣れてしまった。

 あなたが私に奇異な点を感じるとすれば、それは私がもはや孤独であることを厭わないからだろう。そうしたメンタリティはあまりに根本的なものだから、私が周囲を不快にさせないように気を遣ったところで、ヒゲの剃り残しや、寝癖など……あるいは、目線、言葉遣い……そういった些細な事柄から、察知されてしまう。