ひとがもし私を見て恐れたとしても、それは私がひとと「違っているから」とは限らない。たしかに人は異質なものを見て恐れる。例えば、片腕を欠損した人間はどうだろう。あなたは少し恐れるかもしれない。目が三つある人間はどうか。そんな怪物に出くわしたら、あなたは腰を抜かすだろう。
しかし、そういった類ではない。私は、あなたとは違わない。むしろ、違わないというそのことが、あなたを恐怖に陥れるのだ。なぜなら、あなたは、私は何者か、を問う次には、「あなた自身とは何か」を問わなければならないからだ。
回りくどい言い方はやめよう。私は、どのような怪物とも違う、ただの人間である。しかし、あまりにも人間らしい人間なので、個性など何もないというわけだ。私は、この現代にあって、ひとつの奇形なのである。
それなら、とあなたは問うはずだ。なぜ人間の典型であるところの私が、そこまで奇異な印象を与えるのか?それも、はっきりと奇異とは言えない、不気味な人間、とにかく不快で、記憶の隅に追いやりたいような人間なのか?
実のところ、私の人生は惨めなものだった。私は長年孤独に生活してきた。どうやらどんな人間も、私を御しがたいと感じるらしい。私はどんな風習も、文化も、退けてきた。そうしたものは私には理解ができなかったからだ。多くの人々が居心地よく浸かるような、そういう場が私にはなかった。自然と、私は孤独へと追いやられた。
しかし、私はただの人間である。人間とは、愛情を要求するものだ。このことは、私は人間の定義としてもよいと思う。だれかに愛されたいとか、認められたいとか思うこと。偉大な科学者だろうと、戦士だろうと、この願いのために動いてきたのだ。私のような人間にもそういう本能がある。ところが、私はもはや、孤独であることに慣れてしまった。
あなたが私に奇異な点を感じるとすれば、それは私がもはや孤独であることを厭わないからだろう。そうしたメンタリティはあまりに根本的なものだから、私が周囲を不快にさせないように気を遣ったところで、ヒゲの剃り残しや、寝癖など……あるいは、目線、言葉遣い……そういった些細な事柄から、察知されてしまう。
Sunday, September 13, 2015
#1
私は平均的な人間ではない。私は少し、精神的な逸脱があるようだ。もっとも、私の指は五本あり、目はふたつだ。だから、あなたが私を通りで見かけたところで、何も感じることはないだろう。しかしもしも、あなたが極端に繊細なセンスを持っているとしたら、ある違和感をもつだろう。そうして、十歩ほど歩いたところで、振り返るだろう。何かが違う。しかし、何が違うのかわからない――。
あなたの脳の高度な処理技術が、背景と私を切り離すだろう。私は周囲の背景から浮かび上がったように見えるだろう。あなたは距離感を喪失する。背を向けた私との距離が、万ほど離れているように見えるし、反対に、肌の熱を感じるほどに近く感じる。あなたは、しかし、そのまま歩き去ってしまうだろう。大したことではない。たまに、いる。どんな場所にもそぐわない人間が。
あなたは私を正しく判断した。そうして、取り立てて大した問題ではないとした。それがいい。あなたの防衛本能が、あなたを守った。人は、あまりに巨大な恐怖に対しては、思考することを辞めなければならない。脳のはたらきは情報処理だが、それは情報をより細分化しデータベース化するというよりも、不要な情報を「捨てる」ことにある、という説がある。私をあなたは無視をした。それはただしい。それによって、あなたは今日も食事を採れるし、眠りに入ることができる。
しかし、少しの悪夢は見るかもしれない。夢とは人間にとって、不思議そのものだ。私たちは起きている時間を、眠っている時間と比較にならないほど評価している。夢は、覚醒している時間のお荷物、ある錯誤、なんのためにあるのかわからない盲腸のようなものと思われている。もっとも、フロイトのように、夢に治療的な価値を見つけようとした人もあるけれども……。
ともあれ、道ですれ違っただけの人間、それが夢に出てきて、あなたを悩ませることがあるかもしれない。実際、この私という人間は、それだけ考慮に足る人間なのだ。私はあなたの心理を理解する。しかしこれは一方向的な愛だ。あなたは私の心理を理解することはないだろうから。
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