Thursday, September 17, 2015

音楽のない喫茶店

 例えば私が作業をしているうしろを、だれかが通りかかったとする。足音、気のない視線、におい、陰影が、静謐な空気をかきみだす。それだけで、私の注意力は崩れ落ちてしまう。

 コーヒーの匂いは、私の集中力を高める。その白く揺れる湯気と、香りだけでもよいという気がする。味のひどいコーヒーでも、香りはいくらか澄んでいるものだ。すん、とスニッフすると、脳髄まで一瞬に届いて、心身がしゃきっとする。

 いくらか最高の瞬間を味わったあとに、口に運ぶ。正直いって、味はあまり気にしない。胃に落ちて、酸性アルカロイドのカフェインが吸収される。コーヒーは空腹時に飲むに限る――その方が、浮遊できるから。心地よい陶酔。

 この店のコーヒーは格別に集中できるという気がする。この喫茶店は、おそらく全国的にも稀なのではないかと思う。なぜというに、音楽がかかってないからだ。音楽のない喫茶店?人はいぶかるだろう。たいてい、店主こだわりのジャズがかかっているものだ。それか有線のボサノバ。

 おまけに、人もほとんどない。マスターがぶきっちょだからかもしれない。ここのマスターは、対人恐怖なのではないかと私は疑っている。オールバックに立派なヒゲが似合う、しゃれた人なのだが、話しかけると台無しになる。いい年をして、シャイな中学生のようにどぎまぎする。マスターの浅黒い顔が、耳まで赤くなる。しまいには、私が入店するだけで、マスターの顔に緊張が浮かぶのがわかった。わたしは別に、怖い顔をしているわけでもない。マスターは、流れの客なら大丈夫だけど、常連は苦手らしい。なんとなくその気持ちはわかるけど、それでは流行らないだろう。

 そんなマスターが、なぜ接客業をしているのかわからない。奥さんの趣味なのかもしれない。奥さんは、カウンターにはめったに出ない。奥の暖簾のさらに奥で、たいていパソコンをいじっている。何をしているのかはわからない。ブレンドコーヒーの通販店を開いているのかもしれないし、株でもやっているのかもしれない。あるいは、ネトゲ?

 ともあれ、だれもいない空間というのは貴重だ。そして、静かだから。完全な無音ではない。マスターが、グラスの整理をしたり、なにやら伝票に書き込んだり、あくびをしたりする音がする。その程度の雑音が、逆に心地よい。たぶん、だれでもそう感じるのではないかと思う。

 別段、その気もなく難解な本を読むことにしている。哲学とか、古典文学とか……。小説や新書は、すぐ読めてしまうし、何冊も本を持ち歩きたくない。

 退屈な休日は、一日を極限まで間延びさせる。窓から伸びる日光が、あちらの方角へ行ってしまうまで本を読む。こういう本を読んでいると、何かがわかったような気がして、脳の機能が一新されたような気分になる。だけど、何がわかったのかはわからない。ああ、とあくびをすると、マスターがこちらを見る。目があうと、マスターは慌てて目をそらして、顔を赤くする。

 日が沈んできたら、月曜日、そして新しい週が始まる。私の好きな一日は、来週までお預けだ。