Monday, September 28, 2015

光明

 田舎の山道をバイクで走る、200ccの単気筒エンジンは、野太くなった新聞配達のバイクのような音を立てて、80kgの肥満体を運んでいた。

 今日も仕事を終えた、一日を終えた、そう男は感じた。薄明り、すれ違う車もない。6Vのヘッドライトがぼんやりと路面を照らす。秋のさわやかな風が、男の頬をくすぐった。バイクのミラーには、職場の近くのコンビニで買った缶ビールがぶら下がっている。

 こうしてみると、田舎の生活も悪くないものだな。

 都会での生活を、男はあまり思い出せなくなっていた、その思い出は、悪くもなく、また良いものでもなかった。ただあまりに雑然としていて、光と闇にあふれていて、男は都市の中にいると、前を見失いそうになるのだった。そうした恐怖はあるにせよ――男は、自分がこの僻地に住んでいることが信じられない気持ちになるのだった。なぜ俺がこんなところにいるんだろう、日本列島の隅っこ、ほとんどの日本人に忘れられた地域、笑ってしまうような田舎に……。

 バイクは、重力をきちんと受け止めて、路面を蹴って進んでいる。ガソリンの爆発がクランクを回し、チェーンを伝わり、後輪を回転させる。ガードレールの外側は、草木が勝手気ままに生い茂っていて、トンネルのように道路を包み込んでいた。痛んだ道路の段差を踏みつけると、ハンドルの缶ビールがガンガンとぶつかった。

 都会での生活を、男は断片的に思い出していた、夜遅く、電車で帰るときのあの情景。白んだ蛍光灯が、疲れ切った労働者や会社員の顔を照らす、死人のように見える者もあれば、何かから逃れるようにスマホにかじりついている者もいた。窓の外には、無数の原色の看板や、まだ働いている人々のオフィスが流れていった。

 不思議なことに、結婚していた女や、仕事のこと、友人とのふざけあいよりも、そうした情景ばかりが思い浮かぶのであった。そのときは、家と会社の間であって、何の意味もない時間、何も感じずに、気づけば終わっている時間であったはずなのに。

 友人のほとんどは結婚し、子どもを産んでいる。好きだった女も、みな、結婚したようだった。永遠の伴侶のはずだった女も再婚した。男は、その女たちを思い出す、さすが俺が目をつけた女たち、したたかに生きてるなあ、と男は感じ入る。男にとって、それらの女たちは、もはや一つの光明でしかなかった。星のように、ささやかな温かみを与えるような光明、一時期は男を重く苦しめたが、もはや男を決して苦しめないような光として。

 男はついに家に着く。バイクを傾けると、その重量が四肢にのしかかる。男は疲れを改めて感じる。家は、暗い。周囲には街灯もなく、また物音ひとつしない。男の足音だけが響く。歩いていくと、サーチライトが着いた。

 帰ってきた。男は煙草に火をつける。ビールをぶらさげながら、玄関に入っていく。明日の仕事のことは忘れよう、都会の生活のことも――。男は、晩御飯の支度に入った。

 今日は芋を煮よう、腐るといけないから……。