「こういう世の中ってのは、嫌なもんだね。働いても、虚しいし、働かなくても虚しいもんだ」
と、会社の先輩がいうので、俺はそうですね、と返しただけで、書類を目で追っていた。
「何のために働くのかね?一日八時間は働いて、残業が何時間も。君、何時間寝てる?」
上司は、椅子をくるくる回しながら、背もたれを抱きかかえてこちらを見つめている。俺は書類を見つめたまま、
「6時間ですかね。」
「6時間!ちょっと少ないね。君はきっと、血が多いんだろう」
先輩はことあるごとに低血圧をアピールするので、俺は慣れっこになっていた。
「考えてもみろよ。12時間働くだろう。そうして、6時間寝れば、残りは何時間だ」
「18時間だから、残りは6時間ですね」
俺は書類をばさっと机の上に置いて、先輩の目を見つめていった。
「先輩の言いたいことはわかりますよ。でも、しょうがないですね。みんなそんなもんですよ」
先輩は背もたれにもたれかかって、ため息をついた。
「俺、もう働くの疲れちった……」
右斜め上の蛍光灯がチカチカ言っている。向かいのビルは照明がまばらになってきている。
「先輩、明日は土曜ですよ。休めますよ」
「そういうんじゃないんだよなあ。土曜ったって、その次の次の日は月曜だぜ」
俺は冷めきったコーヒーをあおった。
「当たり前じゃないですか。当たり前ですよ」
「やだ……」
「いいですか、先輩」
俺は腕を組んで向き直った。
「だれだって仕事は嫌なんです。それでも仕事はしなければならない。先輩、この会社入って何年です?」
「もう10年になるかなあ。考えたくない。一瞬だよ、十年なんてね。」
「おまけに俺と同じヒラですよね」
先輩はケタケタ笑った。
「俺はまだ半年です。でも、わかりますよ。仕事はつらいんです。嫌で逃げ出したいんですよ。それでも出勤しなければならない。働かなければいけない。そうじゃないですか?」
先輩は立ち上がると、後ろ手を組んで窓の外を眺めた。窓に先輩の厳しい顔が反射して、向かいのビルの明かりと重なった。
「お前は、わかった風な口を言う。何もかも、わかったような感じだ。」
俺はひるまなかった。
「わかってるんですよ。先輩、俺らの人生なんてね、そんなもんですよ」
「俺は、やっぱり嫌だ」
「子どもなんですよね、先輩は。でも、子どもってのも悪いことじゃないですよ。」俺は微笑んだ。「いまどき、子どもって貴重ですよ。子どもですら、しけた大人じみている」
先輩はくるっと振り返ると、俺をもろに指さした。
「お前は本当にかわいくないな。お前もしけた大人だ。」
俺は書類に向き直った。
「わかってますよ」
「本当に、かわいくない。」先輩はぶつぶつ言いながら、デスクに向かった。
時計はすでに、22時をさしていた。